菅原という屋号の源
土師氏(はじうじ、はじし)は、「土師」を氏の名とする氏族。天穂日命(日本神話に 登場する男神)の末裔といわれる野見宿禰は、第11代垂仁天皇から「土師職(はじ つかさ)」を与えられたと言われている。第50代桓武天皇に土師姓(カバネ)を与えられ、 大江氏、菅原氏、秋篠氏に分かれたと言われています。
太宰府天満宮略記には、菅原家は、祖野見宿禰公の後裔で土師氏を称していたが、桓武天皇の御代に菅原の姓を許された。菅公の御父は、是善公といい御母は大伴氏の出。本貫(戸籍)は、出雲国、吉備国、大和国、河内国、山城国等である。
菅公は、33歳で文章博士、42歳で讃岐守。帰京後、宇多天皇の理想政治のもとで信任を受け蔵人頭に抜擢され、55歳で右大臣に昇進する。57歳で従二位に叙されたが、時の左大臣藤原時平の讒言により太宰権帥に左遷されたと記されている。
讀賣新聞2011年9月6日によれば、菅公は九州大宰府への西下の途中、周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に御着船になり、「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば、次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはこの地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい)と願い、九州へと旅立たれた。その願いが、最初の天満宮として、防府天満宮の建立となった。
道明寺
当寺は菅原道真公が信心をこめて手ずから刻まれた国宝十一面観世音菩薩像を御本尊とする古義真言宗の尼寺です。
前身土師寺で、その後菅原道真公に依って道明寺と呼び改められる処となり、数多くの仏像、教典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。

土師窯跡石碑

元宮土師社石碑

道明寺略縁起説明

道明寺案内版
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